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小倉百人一首

このアプリで取り扱う百人一首は、小倉百人一首です。
鎌倉時代、藤原定家が、百人の歌人の歌を、一人につき一首ずつ選び、編纂しました。

和歌 上の句と下の句

和歌とは、五七五七七、三十一文字という形式の日本語の古典の詩を意味します。

同じ形式でも、現代作られたものは短歌という名前になります。
この五七五七七のうち、前半の五七五を「上の句」といいます。
後半の七七を「下の句」といいます。

百人の歌人

歌人とは、和歌を詠む人物のことを指します。

歌人という職業はありません。
身分や職業は、いろいろです。
藤原定家は、平安時代以降の天皇の勅命で編まれた勅撰和歌集から百人の歌人を選んでいます。

藤原定家(1162年-1241年)

平安時代(794-1185)末期に生まれ、鎌倉時代(1192-1333)初期の79歳で亡くなっています。

藤原道長から数えて7代目の貴族ではありましたが、遅くまで、官位には恵まれませんでした。
ただ、父藤原俊成と共に、歌人としてだけでなく、歌道のリーダーとして活躍しました。
百人一首の成立は1232年から1235年(73歳)ごろと考えられています。

時代背景

1179年(17才)定家、初めて歌合せに参加。
1180年(18才)以仁王、源頼朝、挙兵。
1185年(23才)平氏滅亡、後鳥羽天皇即位。
1192年(30才)頼朝、征夷代将軍任命。
1200年(38才)定家、『院初度百首』詠み、後鳥羽院に認められる。
1201年(39才)定家、『新古今和歌集』撰進に参加。
1209年(47才)定家、鎌倉三代将軍、源実朝に『近代秀歌』を贈る。
1219年(57才)源実朝、暗殺。
1220年(58才)定家、後鳥羽院の怒りに触れ、謹慎処分に。
1221年(59才)承久の乱。後鳥羽院順徳院、幕府反乱の罪で流刑。
1232年(70才)定家、権中納言に就任。『新勅撰和歌集』の撰進始める。
1233年(71才)定家、出家。
1235年(73才)定家、後鳥羽院らの環京を幕府に提案し、拒否される。
1241年(79才)定家、死去

用語集 決まり字
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百人一首 初めてかるた

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