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043 権中納言敦忠 逢ひ見ての

権中納言敦忠権中納言敦忠
ごんちゅうなごんあつただ

逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物を 思はざりけり
あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり

意訳
思いがかなった後の恋する心の胸の痛みに比べたら、かつての「一目 会いたい」という思いなんて、何もつらいものじゃなかったんだ。
歌の種類
恋 『拾遺集 恋二710』
決まり字
あいみての のちのこころに くらぶれば
むかしはものを おもわざりけり
語呂合わせ
 愛、昔(あい むかし)

人物

権中納言敦忠=藤原敦忠(906年-943年4月18日)
藤原時平の三男
美貌であり、和歌や管絃にも秀でていた。
恋人の一人に 右近

時平の息子?

『今昔物語』に以下の話があります。
時平の伯父、藤原国経の妻は在原業平の孫で大変な美人でした。
その噂を聞きつけた時平は、早速伯父の家に遊びに行きます。
時平は、酒を呑んでいい気分になった伯父に「特別な贈り物」をねだります。
甥とはいえ大臣に来てもらった嬉しさから、国経はつい言ってしまいます。

「我れは此の副たる人をこそは極(いみじ)とは思へ。大臣に御ますとも此許の者をば否(え)や持給はざらむ。翁の許には此る者こそ候へ。此れを曳出物に奉る」

【わたくしは妻こそを宝と思っております。大臣とおっしゃいますとも、これほどの女性はお持ちではありますまい。この爺のもとにはおります。これを引出物に差し上げましょう】

翌朝、目が覚めた国経は妻の幸せを喜びながらも、妬しいやら、悔むやら、悲しいやら、恋しいやらと、思い乱れてしまったのでした。

この妻から産まれたのが敦忠で、敦忠は国経の子であるという説があります。

命短し恋せよ、おのこ

敦忠は、父時平の後ろ盾で東宮となった保明親王に仕えていました。
保明親王には異母姉も嫁いでおり、次天皇との関係が時平の狙いでした。
しかし、時平は短命にも39歳で亡くなります。
時平が無実の罪で失脚させた菅原道真の怨みだと、世間の噂になりました。
時平の長男も47歳で、孫の慶頼王(保明親王の皇子)は、わずか5歳で亡くなりました。

さて、敦忠は、保明親王と参議藤原玄上の娘との恋文の使いなどをしていましたが、親王が21歳の若さで亡くなった後、この夫人と結婚します。
『大鏡』に敦忠がこの夫人を限りなく愛した話とともに、こういった話が載っています。

「われは命短き族なり。必ず死なむず。その後、君は文範にぞあひたまはむ」

【わたしは、短命の血筋だ。必ず早死にするだろう。その後、君は文範と結婚するんだろうな】

夫人がびっくりすると、敦忠は

「天がけりても見む。よにたがへたまはじ」

【霊となって天空を走り飛んできてでも見届けよう。きっとわたしの予言は外れないよ】

そして、自分の寿命を短いとした予言は当たり、敦忠は36歳で亡くなり、夫人は藤原文範と結婚しました。

逢い見た相手は

保明親王のもう一人の妃、藤原貴子が、この歌の恋の相手でした。
貴子は敦忠の叔父藤原忠平=貞信公の長女で、従姉妹にあたります。

みくしげどのの別当に、しのびてかよふに、親聞きつけて制すと
『権中納言敦忠卿集』

貴子は、保明親王の亡くなった後、”みくしげどの(御匣殿=女官による天皇の衣服などの裁縫をする部署)”の長官に就きます。
当時左大臣だった貞信公は、貴子の次の嫁ぎ先を模索するために、天皇近くいられる部署に置きました。
そこで、甥の敦忠との噂を嫌い、二人を引き裂いたのです。

 しのびて みくしげどのの別当に 合ひ語らふと聞きて、父の左大臣の制し侍りければ

如何して かく思ふてふ  事をだに 人づてならで 君にかたらん
『後撰集 961』

【人目を忍んで、御匣殿の別当にお会いしてお話をしていると聞いて、父の左大臣に禁止されてしまいましたので。
どうにかして、このように恋い慕っているという事だけでも、人伝てでなく、直接あなたに語りたいのです。】

この歌の後に続けて「逢い見ての」が記載されています。
この引き裂かれた恋の歌、約半世紀後に引き裂かれた恋の歌、左京大夫道雅の歌を思い出させます。

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな
『後拾遺集 恋三750』『百人一首 歌番号63』

【今は「もう あなたのことはあきらめます」とだけでもいいから、人伝てではなく、直接、伝えたいのです。】

斎宮との恋

左京大夫道雅と同様に、斎宮との恋もありました
醍醐天皇の皇女、雅子内親王です。
しかし順調に進んだ恋は、雅子が斎宮に卜定されることで叶わぬ運命となります。

後に雅子が退下したとき、敦忠と結婚するかと思いきや、雅子は、貞信公の次男、師輔に降嫁します。
貞信公は、天皇家との関係を強化するために、次々と息子たちに内親王を降嫁させました。
師輔は三人の内親王と結婚しています。
敦忠の恋は、貞信公にまたも阻まれたようです。

右近も恋人の一人でした

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

『拾遺集 恋四870』『百人一首 歌番号38』

【あなたに忘れられたわたしのことはいいの。でも、あの時の神への誓い「ふたり 永遠に」。神罰で命を失うあなた。それは耐えられないの。】

右近も、敦忠の短命を予感していたのでしょう。
失恋への恨みとも取れる歌ですが、敦忠の命を惜しむ気持ちは本当だったのだと思います。

読み上げ

042 清原元輔 契りきな 044 中納言朝忠 逢ふことの

百人一首 初めてかるた

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