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064 権中納言定頼 朝ぼらけ

権中納言定頼権中納言定頼
ごんちゅうなごんさだより

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木
あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらわれわたる せぜのあじろぎ

意訳
夜が明けて、宇治川の朝霧が薄れてうっすらと見えてくるよ、川瀬の網代木が。
歌の種類
冬 『千載集 冬歌420』
決まり字
あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに
あらわれわたる せぜのあじろぎ
語呂合わせ
 朝ぼらけ宇治、現れる(あさぼらけうじ あらわれる)

人物

権中納言定頼(995年-1045年1月19日)
藤原定頼。四条中納言と称す。
父は藤原公仕
1044年(49歳)、出家。
小式部内侍大弐三位相模らと交際する。
能書家。誦経、音楽にも優れる。

優しい娘への返歌

『千載集』のこの歌の前には、定頼の娘の歌が載っています。

中納言定頼 世をのがれてのち 山里に侍りけるころ、つかはしける

みやこだに さびしさまさる こがらしに 峰の松風 思ひこそやれ

(病のため出家した定頼が隠遁した山里におられたころ、遣わしました歌です

木枯らしの音を聞くと、わたしのいる都でさえ、さびしさが優ります。 お父様のいらっしゃる山里の峰の松風の音は、どんなにさびしかろうと思いやられてなりません。)

この優しい娘が自分の寂しさを思いやって心を痛めていると知った父が返す歌が

「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木」

です。

『源氏物語』の宇治十条の縹渺たる情景を思い出させる美しさを前面に見せて、ここは淋しいばかりではないから安心おし、と娘を慰める父の深い愛情が感じられます。

誦経の才能

権中納言定頼の人物にも書きましたが、定頼には誦経の才がありました。
『古事談』と『宇治拾遺物語』に、この才能にちなんだ逸話があります。

堀河右府は 四条中納言に依りて経を談じて 練磨を致す 上東門院に好色の女房有り 堀河右府、四条中納言と共に此の女を愛す 然る間 或る時 右府先に件の女房の局に入り 已に以て懐抱す 其の後 納言件の女の局を伺う処 已に会合の由を知りて 納言 方便品を読みて帰り了んぬ 女其の声を聞き 感歎に堪へずして 右府に背きて啼泣す 丞相の枕 亦た霑る 丞相竊かに思はく 「万事定頼に劣るべからず 安からざる事なり」と云々 之れに因りて忽ちに発心して 八軸を覚悟せらる と云々 『古事談』巻二-七七

今は昔 小式部内侍に 定頼中納言物云ひ渡りけり。 それにまた 時の関白通ひ給ひけり。局に入りて 臥し給ひたりけるを 知らざりけるにや 中納言寄り来て 敲きけるを 局の人「かく」とや云ひたりけん 沓をはきて行きけるが 少し歩みのきて 経をはたと打あげて読みたりけり 二声ばかりまでは 小式部内侍 きと耳を立つるやうにしければ この入りて臥し給へる人「怪し」と 思しけるほどに 少し声遠うなるやうにて 四声五声ばかり行きもやらで 読みたりける時 「う」と云ひて うしろざまにこそ、伏し反りたれ この入り臥し給へる人の「さばかり堪へ難う 恥かしかりし事こそなかりしか」と 後に述給ひけるとかや 『宇治拾遺物語』巻第三-三

定頼と小式部内侍が恋仲だったときの話です。
定頼が小式部内侍の局に会いに行くと、先に別の男性が彼女の元を訪れているのです。
局の女童に事情を聞かされ、入室を断られた定頼ですが、ここからが意表を突かれます。
お経を読むのです、彼女の局の前で。
『法華経 方便品』を読むのです。
これを局の中で聞いた小式部内侍が、定頼の誦経のあまりのみごとさに感嘆の声を上げて、局内の男に背を向けて泣き伏してしまう。
という、お話なのです。

局の中にいた男性は、『古事談』では藤原頼宗、『宇治拾遺物語』では頼宗の弟の藤原教通となっています。
どちらが本当かは、わかりません。

この後、頼宗は常々定頼と、読経の調子、声の美しさなどを競っていた立場から、「何事も定頼にひけをとるわけにはゆかぬ。安心できぬことよ」と、言って、法華経八品の練磨を一心に覚悟した、とあります。

教通のほうは、「こんな耐え難く、恥ずかしいことはない」と後に言った、とあります。

しかしこの逸話、定頼の声の美しさより、定頼の一筋縄ではいかぬ人物像のほうが印象深く感じられる話です。

水もなく

水もなく 見え渡る哉 大堰川 きしの紅葉は 雨とふれとも

此歌は、中納言定頼歌なり。一條院御時大堰川の行幸に、歌よませられける時、四條大納言わが歌はいかでありなん。中納言よくよめかしと思はれけるが、すでに此歌を、水もなく見えわたる哉大堰川とよみあげたるに、はや不覚してけりと顔の色を違えて思はれたるに。きしの紅葉は雨とふれどもとよみあげたりけるに、秀歌仕りて候けりといひて、顔の色出来てぞ思はれける。上句平懐なれども、かようによき歌もあり。 『西公談抄』

一条天皇の大堰川行幸のお供で、定頼が歌を詠ませられた時のことです。
大堰川は今の嵐山渡月橋付近から桂橋までの称で、今も紅葉の名所で有名です。

大堰川aes256様撮影 フォト蔵より

父である藤原公任も同席していました。
一条天皇の大堰川行幸が何年だったかは不明ですが、一条天皇の崩御の1011年、定頼は16歳でしたので、行幸当時はもっと若く、父の公任は、巧く詠んでくれるとよいがと、さぞや気をもんだと思われます。
定頼の歌が読み上げられます。

「大堰川の水も無く、見え渡ることよ」

公任は「早くも失敗している」と思い、顔色を失いました。
大堰川の水は目の前に滔々と流れています。
水も無く、とはとんでもないことです。

続きが読み上げられます。

「岸の紅葉は、雨のように川面に降っているというのに」

公任、「秀歌を献上したことよ」と喜んで、顔色を取り戻しました。

雨のように降り注ぐ紅葉の葉で、水も見えぬほどおおい尽くされた大堰川。
「水もなく」の謎解きが、下の句でされました。
一条天皇、公任を始めとして、同席した全ての人が、下の句を聞いて、あっと驚いたに違いありません。

『西公談抄』の著者、蓮阿の感想で、この話は締めてあります。
「上の句はつまらないけれど、このようによい歌もある」

読み上げ

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