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068 三条院 心にも

三条院三条院
さんじょういん

心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
こころにも あらでうきよに ながらえば こいしかるべき よわのつきかな

意訳
不本意にも、苦しみの多いこの世の中で長く生きることになったなら、今夜の月を恋しく思い出すのだろうな。
歌の種類
雑 『後拾遺集 雑一860』
決まり字
こころにも あらでうきよに ながらえば
こいしかるべき よわのつきかな
語呂合わせ
 心に小石(こころに こいし)

人物

三条院(976年2月5日-1017年6月5日)
父、冷泉天皇が精神病のため、後見が弱かった。
25年の皇太子期間の後、36歳で即位するも、5年で退位。
藤原道長との政治的対立。
1014年、眼病を理由に、藤原道長に譲位を迫られる。
1014年、1015年に、内裏が二度炎上。
1016年、譲位。
娘、当子内親王と藤原道雅との密通事件が発覚。
翌年、42歳で崩御。

見えなくなる月

恋しかるべき夜半の月かな

例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしけるころ、月のあかかりけるを御覧じて
 『後拾遺集 詞書』

  目のご病気になられて、譲位を考えられていたころ、月の光の明るいのをご覧になられて

十二月の十余日のいみじう明きに、上の御局にて、宮の御前に申させたまふ。
 『栄花物語 巻第十二』

  1015年12月中旬のたいそう月の明るい日、里内裏枇杷殿の部屋で、中宮妍子におっしゃられました。

 即位後の三条天皇の世は、本当に憂き世でした。
重篤な眼病にかかり、失明に近い状態でした。
医師たちの治療も効果は望めず、苦痛なだけでした。

院にならせたまひて、御目を御覧ぜざりしこそ、いといみじかりしか。
こと人の見たてまつるには、いささか変はらせたまふことおはしまさざりければ、
そらごとのやうにぞおはしましける。
御まなこなども、いと清らかにおはしましける。
いかなる折にか、時々は御覧ずる時もありけり。
  『大鏡』

   上皇になられて、お目がご覧になられなかったのは、たいへんおいたわしいことでした。
   傍の人が拝見するには、すこしもお変わりになられるところはないように思われ、
   お目が不自由であることなど、嘘のようでいらっしゃいました。
   お眼なども、とても澄んでいらっしゃいました。
   どういう折か、時々はお目がお見えになられる時もありました。

 この重い眼病は、三条院に深い怨みのある僧侶が物の怪となって取り付いたせいと言われていました。
三条院はたびたび、物の怪や天狗に襲われます。

 内裏が立て続けに火事になったのことも、不幸でした。
仮住まいを繰り返し、病の体を休める場所もありませんでした。

 慰めは愛しい娘たちの姿を見ることでしたが、眼病の悪化で、それもままならなくなります。

 そんなときに詠った歌が、この歌です。
「こんな辛い世の中でも長生きをすれば、今夜の美しい月も恋しく思い出す日が来るのか」

 月を観ることもかなわぬ身となりつつあります。
 自分の命のはかなさばかりを感じる日々を、送っています。
 強い後ろ盾もなく、家臣にすら譲位を迫られるありさまでした。

 追い討ちをかけるように、斎宮を辞した娘、当子内親王と藤原道雅との密通事件が発覚します。
周囲は、既に斎宮を辞しての恋を咎めることはありませんでした。
しかし、三条院はこの恋を許せずに激怒し、二人を引き裂きます。
手引きをしたと思われる侍女を追放し、道雅を内裏への出入り禁止とします。
失意の当子内親王は、自ら髪を落とし、落飾しました。
愛娘の出家を聞いた三条院は「我慢しよう。あの心外であった一件に比べれば」と思うのです。

 暗闇の世界に、三条院は一人取り残されてゆくのです。
当子内親王落飾の半年後、病状が悪化した三条院は出家の後、崩御されました。

 あの美しい月を観て歌を詠った日から、わずか1年半後の春の日の昼頃のことでした。

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