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089 式子内親王 玉の緒よ

式子内親王式子内親王
しょくしないしんのう

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
たまのおよ たえなばたえね ながらえば しのぶることの よわりもぞする

意訳
わたしの命など、絶えてしまうなら、もう絶えてしまえばいい。生きながらえると、この恋を耐え忍ぶ力がなくなってゆくの。
歌の種類
恋 『新古今和歌集 恋歌一1034』
決まり字
たまのおよ たえなばたえね ながらえば
しのぶることの よわりもぞする
語呂合わせ
 玉忍ぶ(たま しのぶ)

人物

式子内親王(1153年?-1201年1月25日)
後白河院の皇女、賀茂斎院。
和歌を藤原俊成に師事する。
6歳ごろ、賀茂神社の斎院に卜定するが、16歳ごろ病のため退下。
叔母八条院暲子内親王と姪を呪詛した疑いで出家。
44歳ごろ、後白河院の偽託宣事件に連座し洛外追放が検討されるが、処分には至らず。
46歳ごろから体調不全になるものの、後鳥羽院の求めで百歌集を詠む。

久しく忍ぶ恋

百首歌の中に忍ぶ恋を
 『新古今和歌集詞書』より

 (百首歌の中に「忍ぶ恋」を題材として詠みました。)

『新古今和歌集』では「久しく忍ぶ恋」という位置づけで置かれた歌です。
式子内親王は若くして賀茂斎院となり、16歳で退下しています。
48歳で世を去るまで独身を通し、はたしてその恋の相手が誰だったのか憶測を呼ぶものがあります。

『新古今和歌集』恋歌一には、この後に同じ「久しく忍ぶ恋」のテーマで二首続けて掲載されています。

忘れてはうち嘆かるるゆふべかな われのみ知りてすぐる月日を
  『新古今和歌集 恋歌一1035』

 (つい忘れて嘆いてしまう夕べ。わたしだけが知っている、過ぎていったこの恋の月日を。)

わが恋は知る人もなし堰く床の涙もらすなつげのを枕
 『新古今和歌集 恋歌一1036』

 (わたしの恋は、だれも知る人もいない。床に落ちた涙は、堰き止めた。だから、どうか外に漏らさないで。だれにも告げないで。柘植の枕よ。)

 この一連の歌は、題詠ですので、実在の人物に宛てて送られたものではありません。
しかし、「久しく忍ぶ恋」という歌題は、神に奉仕する斎院という身分の式子内親王に残酷なほど相応しいものではないでしょうか。
彼女が密かに愛した相手は、藤原定家とも、西行とも言われています。
 斎院という身分でなければ、幸せな恋を謳歌できたのではないかと思うと、残念でなりません。

 彼女の死後、10年ほどの後、承久の乱の混乱と皇室の資金不足が原因で、斎院制度は廃絶となりました。

読み上げ

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