七夕をタナバタとは読む以前のこと

七夕ハ古ハ、ナヌカノヨト呼ビシガ、後ニタナバタト云フ、棚機(タナバタ)ツ女ノ省言ニテ、織女ヲ云フナリ

『古事類苑』より

なぬかのよといふべきを、いつの比よりか七夕をたなばたと訓るは、より所なき事也、
されど延喜(901-923年)の比までは、七夕をなぬかのよといふ事たしかなり

『古今要覧稿』より

  • 『万葉集』『懐風藻』に、七夕という文字は出てきます。
    シッセキと訓じています。『新日本古典文学大系』
  • この当時、ほかの歌集では七日や七月七日という表現になります。
  • 『後選和歌集』の歌の詞書に「七夕をよめる」とありますが、シチセキと読むかタナバタと読むかは不明。
    『新日本古典文学大系』
  • 『拾遺集』(1005-1007年成立)に清原元輔の歌の詞書に「七夕庚申にあたりて侍る年」とあり、タナバタと訓じています。

これ以降、七夕という表現が増え、タナバタと訓じます。

織女をタナバタと読んでいた時代があった

倭名類聚鈔 牽牛 織女
倭名類聚鈔』(平安時代中期成立の辞書。漢語を分類して和名を注する)より

「兼名苑に言う。織女星は牽牛星と一対である。和名 タナバタツメ」とあります。
『箋注倭名類聚鈔』(倭名類聚鈔の江戸時代の注釈研究書)を見ると「タナバタツメは織女の字を用いる。万葉集に見える。按ずるにタナバタは棚機である。機具の形が棚に似ているので、棚機と言う。ツは助詞。メは婦人を言う。」という内容のことが書いてありました。
『万葉集』では織女のことを、「織女」のほかに、「棚機」「棚幡」という文字を使った歌があります。

面白いのは、タナバタとは七月七日の夕べ(=七夕)や、七夕祭りの名前ではなく、織女という女性の名前なのです。
織女は現在ではオリヒメですよね。
織女をタナバタツメと読み、七夕をナヌカノヨと読んでいたのです。
そして、棚機というのは、機の形が棚に似ているからなのだ、と書いてありました。

棚機という職業の女性たち

『古事記』には、「弟織女(オトタナバタ)」という言葉がでてきます。

天なるや 弟織女の 頸がせる 玉の御統の 穴玉はや み谷 二渡らす 味耜高彦根
(天にいる若く美しい機織り女の首飾りの玉が、谷を二つ越えて輝き渡るような、光溢れる味耜高彦根よ。)

『古事記』より

味耜高彦根(アジスキタカヒコネ)を誉める歌に引用されています。
この場合の弟織女とは、特定の人物ではなく、天上にいる機織りをする少女を指しています。

『古語拾遺』に天棚機姫神(アメノタナバタツヒメノカミ)についてのことが書かれています。

古語拾遺 天棚機姫神

(高天原で、素戔鳴尊の悪い行いに)腹を立てた天照大神は、岩戸にこもりました。
天棚機姫神は、思兼神に命じられて、神衣(かんみそ)という神聖な織布を織って、大神に奉った、とあります。

天棚機姫神の名前には”天”という文字が入っています。
地にいる”棚機津女”を意識させる名前だと思いました。
棚機には、やはり機織りの意味しかないのではないか、と思うのです。
神を待つ人たちの主人公が、他の神々であることからも言えます。

天棚機姫神は、天照大神に相応しい神衣(注に「和衣(にぎたえ)」。細かい織り目の絹の織物)を織った、というだけの役割の織女です。

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