折口信夫氏のいう、水辺の小屋で機を織る乙女の祭儀は、どこにあるのでしょう。

『水の女』で具体的な例として示されているのは、記紀にある神代の所伝によるものでした。

  1. 記紀にある高貴な女性たちの名前に機に関した讃え名が多かったこと。
    タクハタチハタヒメ、カリハタトベ、オリカリバタトベ、クサカハタヒヒメなど
  2. 『古事記』仁徳天皇の女鳥への歌「女鳥の わが王の 織ろす服 誰が料ろかも」
  3. 『日本書紀』コノハナサクヤヒメがニニギノミコトに出会う場面で、姉のイワナガヒメと妹のコノハナサクヤヒメとが海岸で機を織っていたこと

1では、確かに高貴な女性の名に「ハタ」とあります。
2や3では、天皇や神から機織りをしている時に、求婚されています。
このことから、古代では、機を織る女が、特別な存在であったことが読み取れます。

ただ、腑に落ちないのは、タナ=懸崖造りの桟敷の存在を感じられないのです。

折口信夫氏は、棚の一種である御倉板挙(ミクラタナ)の説明から、ニニギノミコトに出会うコノハナサクヤヒメたちが居たのは、棚だったのだと書いています。
抜粋箇所が長いので、引用の下に要約を入れました。

  一つは、盆棚形式のもので、柱を主部とするものである。珠玉の神を御倉板挙といふなどは、倉の棚に、此神を祀つたものと見てゐるが、これは、くらだなに対する理会が、届かないからである。くらだなが即すなはち倉で、倉の神が玉であり、同時に、天照皇大神の魂のしんぼるであり、また米のしんぼるとして、倉棚に据ゑられたのである。
この倉は、地上に柱を立て、その脚の上に板を挙げて、それに、五穀及びその守護霊を据ゑて、仮り屋根をしておく、といふ程度のものであつたらしく、「神座クラなる棚」の略語、くらの義である。時には、その屋根さへもないものがあつて、それを古くから、さずきと言うた。後に、この言葉が分化した為に、而も、さずきその物の脚が高くなつた為に、別名やぐらと称する称へを生んだ。神霊を斎ひ込める場合には、屋根は要るが、それでなくて、一時的に神を迎へる為ならば、屋根のないのを原則としてゐた。後には、棚にも屋根を設ける様になつたが、古くは、さうではなかつたのである。
だから、やまたのをろちの条に、八つのさずきを作つて迎へた、といふ事も訣るのである。此が、特殊な意義に用ゐられた棚の場合には、一方崖により、水中などに立てた所謂、かけづくりのものであつた。偶然にも、さずきの転音に宛てた字が桟敷と、桟の字を用ゐてゐるのを見ても、さじき或は棚が、かけづくりを基とした事を示してゐる。後には、此かけづくりをはしどのなどゝさへ称する様になつた。だから、考へると、市廛(イチタナ)の元の作りが訣つて来る様に思ふ。
恐らく、異郷人と交易行為を行ふ場処は、かうした棚を用ゐたので、その更に起原をなすものは、棚に神を迎へ、神に布帛その他を献じた処から、出てゐるのである。
さうした意味から考へると、日本紀天孫降臨章にある、
天孫又問曰、其於秀起浪穂之上起八尋殿而、手玉玲瓏織紝之少女者、是誰物女子耶。答曰、大山祇神之女等。大号磐長姫、少号木華開耶姫。
とある八尋殿は、構への上からは殿であるが、様式からいへば、階上に造り出したかけづくりであつた、と見て異論はない筈である。此棚にゐて、はた織る少女が、即棚機つ女である。
さすれば従来、機の一種に、たなばたといふものがあつた、と考へてゐたのは、単に空想になつて了ひさうだ。

折口信夫著『たなばたと盆祭りと』より

要約すると、

(第一段落)「倉なる棚」というものがあって、くらだなが倉で、倉の神が玉で、同時に天照大御神の魂と米のシンボルとして、倉棚に据えられていた。
(第二段落)ヤマタノヲロチで八つの桟敷がでてくる。桟敷あるいは、特殊な意義に用いられる場合の棚は、かけづくりのものだった。
(第三段落)おそらく、異郷人と交易行為を行う場所はこうした棚を用いたので、棚に神を迎え、神に布帛その他を献じた。この棚にいて、はた織る少女が棚機つ女なのだ。

いうことなのでしょうか。(注:段落分けと下線は、このブログの筆者によるもの)
第三段落の理論からすると、記紀に登場する天皇とヒメたちが出会うすべての場所が棚でないといけないのでは?、という気もしますが。

機の一種に、たなばたといふものがあつた、と考へるのは、単なる空想にすぎぬのか?

機織り機

折口信夫氏の説とは別の説を唱える人たちが、時代を前後して存在します。

機のかまへは、棚なるが故に、然いふなり
(棚のような構造の機織り機なので、棚機という。)

本居宣長著『古事記伝』より

「棚機」とは棚となる横板をつけた織機のこととされ、これを用いて織布作業に従事する女性を「棚機女」といった。

『日本神さま事典』より

タナバタとは棚のある機、機台に組み立てられた立体的な棚のことであり、それを用いる技術もそれで織られた布も、機台(棚)のない原始機より高級である。
要するにオトタナバタとは、高級な機台付きの機で布を織る若くて美しい織女のことである。

平林章仁著『七夕と相撲の古代史』より

『箋注倭名類聚鈔』にも
「按ずるにタナバタは棚機である。機具の形が棚に似ているので、棚機と言う。」
とあります。

わたしも、「たなばた」という機が実在し、それを織る女性たちを「たなばた」の女と、呼んでいたのだと思いました。

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