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年別アーカイブ: 2015年

七夕祭(2) 七夕に食べる素麺は七夕とは無関係なのです

3000年前の中国の帝王、高辛氏。 大変な聡明な人物であったが、残念なことに子供を亡くしてしまいます 7月7日のことでした。 その子が幽霊となって、人々に瘧(おこり マラリアの一種)をはやらせました。 そこで生前子供が好 …

七夕祭(1) 宴の食事

日本で1600年余り、天を見上げ、川を臨んで祝ってきた七夕祭 かささぎの渡れる橋に置く霜の 白きを見れば夜も更けにける 百人一首 歌番号6 大伴家持 この大伴家持のカササギの歌で七夕について調べました 飛鳥、奈良時代から …

末の松山を越える浪

末の松山は諸説ありますが、有名なのは、今の茨城県多賀城市にある末松山寶國寺の裏山のことです。 多賀城は、724年大和朝廷が蝦夷を制圧するための軍事拠点として設置されました。 坂上田村麻呂や大伴家持らも派遣されています。 …

カササギの(まとめ)七夕とタナバタと棚機の伝来

かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける (七夕の夜、天の川にカササギがかける白い橋。 宮中の渡り廊下に降りた霜の白さを見ると、夜も更けたと思われるよ。) 百人一首 歌番号6 大伴家持 冬、寒い夜 …

カササギの(15)完結 桜の下でタナバタを請う

『伊勢物語』に、こういう話があります。 季節は、桜の盛り、春の頃です。 場所は、惟喬親王の水無瀬離宮 現在の、水無瀬離宮跡は大阪府三島郡に残っています。 惟喬親王は、毎年桜の頃に水無瀬離宮に来られました。 その時はいつも …

カササギの(14)織女の渡来

古代、高機と一緒に日本に来た織女たちの歴史を見てみます。 織女の渡来 応神紀14年2月(283年) 百済王、縫衣工女を貢る。(縫衣工女=着物を縫う女性技術者) 真毛津と曰ふ。 応神紀37年2月(306年) 呉王、是に工女 …

カササギの(13)織機の歴史

普及に明治時代までかかった最高級手織り機は、 5世紀既に渡来していた 日本やアジア各地に残る民具の織機をみると、大きく3種類に分けることができます。 ①原始機(げんしばた) 機台を持たず、柱などに固定した経糸(たていと) …

カササギの(12)七夕はなぬかのよと読む

七夕をタナバタとは読む以前のこと 七夕ハ古ハ、ナヌカノヨト呼ビシガ、後ニタナバタト云フ、棚機(タナバタ)ツ女ノ省言ニテ、織女ヲ云フナリ 『古事類苑』より なぬかのよといふべきを、いつの比よりか七夕をたなばたと訓るは、より …

カササギの(11)民間の七夕

民衆の七夕祭の歴史に、機を織る女性の存在はあるのでしょうか。 そして、民衆の七夕の歴史はどうだったのでしょうか。 柳田国男氏の七夕についての伝承を調べてみました。 結論から言って、タナバタツメは出てきません。 タナバタツ …

カササギの(10)神の衣を織る女

折口信夫氏のいう、水辺の小屋で機を織る乙女の祭儀は、どこにあるのでしょう。 『水の女』で具体的な例として示されているのは、記紀にある神代の所伝によるものでした。 記紀にある高貴な女性たちの名前に機に関した讃え名が多かった …

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