百人一首で3度出てく植物「芦」について調べてみました
難波潟 短き芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや (19番 伊勢)
(難波潟の短い芦の節と節の間ほどの短い時間でもあなたに会いたいのに
あなたはもう、会わずにこの世を過ごせとおっしゃるのですか?)
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く (71番 大納言経信)
(夕方になると、家の門の前の田んぼの稲穂に、秋風が訪れ、
また芦葺きの小屋にも、風が吹いています)
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき (88番 皇嘉門院別当)
(難波江に生える芦。その節と節の間ほどの短い時間をあなたと過ごした。
あの一夜のために身を滅ぼすほど恋こがれ続けることになるのね)
まずは漢字から
下記の4つの文字は同じ読み方をし、同じ植物をさします。
葭
蘆
芦
葦
ちなみに蘆と芦は同じ文字です。
蘆の略字が芦です。
この蘆と他の2つとの違いは成長の度合だそうです。
アシに対する中国の名にはまず三つある。すなわちアシの初生のもの、すなわち食うべき蘆筍の場合のものを葭といい、なお十分に秀でず嫩い時を蘆といい、十分に成長したものを葦といい、葦はすなわち偉大を意味するといわれる。
牧野富太郎 植物一日一題 – 青空文庫
つまり小さい順に葭→蘆(芦)→葦となります
アシとヨシ
芦はアシと読みます
昔の人たちはこの読み方を嫌いました
悪し(アシ)と通じるという考えです
そこで別名を与えました
ヨシです
芦と書いてヨシと読むようにしました
夏、部屋の日よけに使うすだれやたてすをヨシズ(葦簀)といいますよね
アシズとはいいません
芦(アシ)で作ったすだれですがヨシズなのはこういった訳があるからです
芦はとても身近な植物
▲刈り取られたヨシは、立簀などに編み上げられ、日除けなどに用いられる ≪鵜殿の説明板より≫
現代に生きるわたしたちにとって身近にある芦はすだれと立簀(たてす)でしょうか
こういった芦を使った道具の歴史は古く、奈良時代にはすだれが使われていることが『万葉集』に載っています。
乾燥させた芦の茎を1枚の布状になるように並べて糸でつなぎ端を切りそろえたものが「す」です。
地面と平行になるように吊り下げたものをすだれといい、地面と垂直に置いたものを立簀(たてす)といいます。
すだれは軒先や窓の外に吊り下げて日よけや目隠し、虫よけに使われるほか、部屋の仕切りとして使われることもありました。
特に宮殿・神殿などに用いるすだれを御簾(みす)といいます。
丁寧な言い方です。
部屋の中や外を分けるのに使われており、豪華な布で縁取られているものもあります。
源氏物語の中で源氏の君と義母の藤壺の更衣が御簾で隔てられてしまうという場面があります。
それまでは幼い源氏の君は藤壺の更衣と同じ部屋で仲良く語りあったりしていたのです。
ところが源氏の君が成人を迎えたその時から二人の間には御簾が掛けられ、源氏の君は桐壺の更衣のお顔を見ることは許されなくなるのです。
当時高貴な方や女性はお顔を見せないものでした。
百人一首の札では、持統天皇や式子内親王のものには御簾のような衝立で描かれています。
たてすは主に軒先に置かれて、夏の暑い日に日陰として用いられ、たてすの隙間から流れ込んでくる風に涼を感じられます。
また大納言経信の歌にもあるように壁や屋根の材料として使われていました。
その他、燃料や農家の肥料、製紙材料、生薬などにも利用されており、生活する上で非常に目につく身近な植物でもありました。
日本は芦の豊かに茂る国
日本の美称をご存じでしょうか
豊葦原の千五百秋の瑞穂の国
(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)
豊葦原の瑞穂の国
(とよあしはらのみずほのくに)
葦原の中つ国
(あしはらのなかつくに)
『古事記』『日本書紀』で称される我が国の美称です。
意味は「葦が生い茂り、永遠に穀物が豊かに実る国」です
その通り、日本などの温帯の水辺で生育します
イネ科の大型多年草で、高さは2~5mに成長し、大群落をつくります
歌と芦と大阪と
芦は別名「浪速草」とも呼ばれ、水の都といわれた大阪で多く生育しました
大阪府の郷土の花にもなっています
和歌の世界でも大阪(浪速、難波)の景物として知られ、百人一首では2首の歌に詠われています
難波潟 短き芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや (19番 伊勢)
(難波潟の短い芦の節と節の間ほどの短い時間でもあなたに会いたいのに
あなたはもう、会わずにこの世を過ごせとおっしゃるのですか?)
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき (88番 皇嘉門院別当)
(難波江に生える芦。その節と節の間ほどの短い時間をあなたと過ごした。
あの一夜のために身を滅ぼすほど恋こがれ続けることになるのね)
実際に芦の間を測ってみると 約10cmくらいでしょうか
鵜殿のヨシ原
▲鵜殿のヨシ原の説明板より
現在も大阪府高槻市に広大な面積を誇る芦原があります
大阪府高槻市の上牧(かんまき)及び道鵜(どうう)地区に広がる淀川河川敷に、長さ約 2.5km、幅約400m、面積約75haにわたるエリアで、芦などが自生しています。
名前を鵜殿(うどの)のヨシ原といいます
鵜殿という地名は紀元前88年(崇神天皇の時代)に起きた建波邇安王(たけはにやすのみこ)の乱で 負けた建波邇安王の軍勢の屍が川に鵜のように浮かんでいたことに由来します
この乱以降、川(現在の淀川)を鵜河(うかわ)といいました
平安時代に鵜河の辺りに作られた宿を「鵜殿」といい、それが地名となったようです
▲澱川両岸一覧 暁晴翁( 暁鐘成 ) 著 松川/半山 画
日本で最初にかなで書いた日記『土佐日記』の中で、著者の紀貫之が承平5年(935年)2月に、鵜殿で宿泊したと書いています
九日(中略)こよひ宇土野といふ所にとまる。
十日、さはることありてのぼらず。
十一日、雨いさゝか降りてやみぬ。かくてさしのぼるに東のかたに山のよこをれるを見て人に問へば「八幡の宮」といふ。これを聞きてよろこびて人々をがみ奉る。山崎の橋見ゆ。
篳篥(ひちりき)と芦の関係
こうした歴史的背景とは別に鵜殿のヨシは良質なことからも知られており、雅楽の楽器である篳篥(ひちりき)の吹き口として用いられています
この吹き口を蘆舌(ろぜつ)といいます
芦の舌という意味です
6cmの蘆舌は長さ4~5mの芦を用いても、適切な太さや硬さのものが一つしかとれません
鵜殿のヨシ原の一部にのみ、この条件に当てはまる大型で茎の密度が高い芦が生息します
ほかの芦では代えが利かず、この芦が失われると約1500年続いた篳篥の存続は不可能となります
篳篥は紀元前1世紀頃の中国を起源とし、3世紀から5世紀にかけて広く普及し、日本には6世紀前後に、中国の楽師によって伝来されたとされています
百人一首のメンバーの中で、篳篥の名人としては源俊頼がいます
うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを (74番 源俊頼朝臣)
(あの人が、わたしをもっと好きになるようにと初瀬の観音様に祈ったのだよ
初瀬山の北風のようにもっと冷たくなるようになんて祈らなかったのに)
芦は英語でreed(リード)といいます
西洋管楽器の中で、口にくわえるマウスピースに薄い板をつけることで音を出す楽器をリード楽器といいます
サクスフォンやクラリネットがそれにあたります
マウスピースにつけられる薄い板の材料が芦で作られていることからリード楽器というのですが、やはりこうした楽器に使われる芦も特定の生育地でのみ採取できるものが良質とされているようです
鵜殿のヨシ原の危機
この大切な鵜殿のヨシ原の芦が現在複数の原因によって全滅の危機に直面しています
1.淀川の治水工事による水位の低下
芦は水辺で生息する植物です
1971年(昭和46年)に始まった淀川の改修事業によって水位が低下し、川べりに陸地が増加しました
それに従いヨシ原の面積は180haから50haまで減少しました
しかし1997年(平成9年)に河川法が改定。生態系の保全が義務化されたため、1996年(平成8年)に河川敷の上流部に揚水ポンプが設置、導水路の開設が行われました
これにより75haに広がるなど一定の成果が現れています
2.芦の生育に必要なヨシ原焼き
▲春を呼ぶ伝統行事として多数の人が訪れる「ヨシ原焼き」 <説明版より>
鵜殿のヨシ原では毎年2月頃に野焼きを行います
これをヨシ原焼きといいます
ヨシ原を焼く目的は主に以下に由来します
・害草の除去
・害虫の駆除
・不慮の火災防止
ところが2021年ヨシ原焼きを求める署名運動がおきました
理由は2020年、2021年と2年連続でヨシ原焼きが中止になってしまったからです
ヨシ原焼きは大阪の風物詩ともいえるイベントの一つで大勢の見物人が集まります
新型コロナ禍の影響から人を集める催しは中止されることになりました
結果、大いにはびこった雑草に押されて芦が絶滅の危機に瀕することになってしまったのです
近年、淀川対岸の枚方市住民からヨシ原焼きの灰で洗濯物が汚れるなどの苦情により
ヨシ原焼きの規模を縮小していました
そこに2年連続の中止で大打撃を受けた形となったということです
しかし雅楽関係者や愛好家の方たちの署名運動が起きて、2022年は鵜殿のヨシ原焼きは開催が決定されました
無事に催され、立派なヨシ原が再生されることを願います
3.新名神高速道路の建設
新名神高速道路は名古屋市を起点として神戸市に至る約174kmの高速道路です
完成予定は2023年(令和5年)
建設予定地に鵜殿のヨシ原のある高槻市が含まれています
上の写真茶色の部分がヨシ原
奥側にある高い建物が淀川対岸にある茨木市
ちょうど真ん中に建設途中の高速道路が見えます
新名神高速道路は淀川を渡って鵜殿のヨシ原を横断して神戸市に向かう予定です
nexco西日本は専門家チームを作って鵜殿のヨシ原の環境保全について調査中のようです
ぜひともこの貴重な芦が失われてしまうことのないようにしてもらいたいものです