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末の松山を越える浪

末の松山は諸説ありますが、有名なのは、今の茨城県多賀城市にある末松山寶國寺の裏山のことです。 多賀城は、724年大和朝廷が蝦夷を制圧するための軍事拠点として設置されました。 坂上田村麻呂や大伴家持らも派遣されています。 …

カササギの(まとめ)七夕とタナバタと棚機の伝来

かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける (七夕の夜、天の川にカササギがかける白い橋。 宮中の渡り廊下に降りた霜の白さを見ると、夜も更けたと思われるよ。) 百人一首 歌番号6 大伴家持 冬、寒い夜 …

カササギの(15)完結 桜の下でタナバタを請う

『伊勢物語』に、こういう話があります。 季節は、桜の盛り、春の頃です。 場所は、惟喬親王の水無瀬離宮 現在の、水無瀬離宮跡は大阪府三島郡に残っています。 惟喬親王は、毎年桜の頃に水無瀬離宮に来られました。 その時はいつも …

カササギの(14)織女の渡来

古代、高機と一緒に日本に来た織女たちの歴史を見てみます。 織女の渡来 応神紀14年2月(283年) 百済王、縫衣工女を貢る。(縫衣工女=着物を縫う女性技術者) 真毛津と曰ふ。 応神紀37年2月(306年) 呉王、是に工女 …

カササギの(13)織機の歴史

普及に明治時代までかかった最高級手織り機は、 5世紀既に渡来していた 日本やアジア各地に残る民具の織機をみると、大きく3種類に分けることができます。 ①原始機(げんしばた) 機台を持たず、柱などに固定した経糸(たていと) …

カササギの(12)七夕はなぬかのよと読む

七夕をタナバタとは読む以前のこと 七夕ハ古ハ、ナヌカノヨト呼ビシガ、後ニタナバタト云フ、棚機(タナバタ)ツ女ノ省言ニテ、織女ヲ云フナリ 『古事類苑』より なぬかのよといふべきを、いつの比よりか七夕をたなばたと訓るは、より …

カササギの(11)民間の七夕

民衆の七夕祭の歴史に、機を織る女性の存在はあるのでしょうか。 そして、民衆の七夕の歴史はどうだったのでしょうか。 柳田国男氏の七夕についての伝承を調べてみました。 結論から言って、タナバタツメは出てきません。 タナバタツ …

カササギの(10)神の衣を織る女

折口信夫氏のいう、水辺の小屋で機を織る乙女の祭儀は、どこにあるのでしょう。 『水の女』で具体的な例として示されているのは、記紀にある神代の所伝によるものでした。 記紀にある高貴な女性たちの名前に機に関した讃え名が多かった …

カササギの(09)伝説の女

カササギについて調べている間に棚機津姫(タナバタツメ)伝説ということばに度々出会いました。 日本古来から棚機津姫伝説があり、これと中国の七夕伝説が融合したので、七夕をタナバタと読むのだ、という説です。 棚機津姫伝説とは、 …

カササギの(08)宮中で七夕はトレンディなイベント

中国では、七月七日に乞巧奠(きつこうてん)という行事を行っていました。(6世紀編纂『荊楚歳時記』より) 七月七日の夕方、女性が色糸を結び、針の穴を穿ち、或いは金・銀・鍮石を以って針を為り、庭にござを敷いて、酒やくだもの、 …

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