川辺の桜

『伊勢物語』に、こういう話があります。

季節は、桜の盛り、春の頃です。
場所は、惟喬親王の水無瀬離宮
現在の、水無瀬離宮跡は大阪府三島郡に残っています。

惟喬親王は、毎年桜の頃に水無瀬離宮に来られました。
その時はいつも、在原業平も一緒に連れていかれました。
親王は鷹狩りに行くよりも、酒を飲みながら歌を作るほうに熱心だったようです。
交野(現大阪府枚方市交野)の渚の院の桜は特に美しいからと、遊びに行きました。
木陰に憩い、桜の一枝を髪に挿し、皆で歌を詠みました。
この時、在原業平が読んだ歌が、非常に有名です。

世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
(この世に桜がなければ、咲くのを待ったり、散るのを惜しんだりせずに、のんびりと春の日を過ごせたことでしょうね。)

日暮れ近くにお酒の差し入れをもらって、それを飲むために場所を探して、天野川の河岸まで来ました。
大阪府枚方市に、今も流れる川です。
さて、在原業平が惟喬親王の盃に酒を注ごうとすると、
親王は「交野で狩りをして天の河のほとりに至る」という題名で歌を詠んでから、注げとおっしゃられました。

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり
(狩りをしていて、日暮れになりました。棚機津姫に宿をお借りしよう。天の河原にわたしは来ているのだから。)

夜の桜

最初にこの歌を読んだ時は、天野川を銀河の天の川に見立てた歌で、一見どうということもないけれど、さすが歴史的美男子が詠むと、夫のいる女性に一夜の宿を借りようとする大胆さがいい感じに取れるものだな、と変な感心の仕方をしたりしていました・・・が、待てよ?

大阪府枚方市に流れる天野川?

これは、見立ての歌じゃない可能性があることに気がつきました。

渚の院と天野川を挟んで対岸には、茄子作遺跡があります。

カササギの(12)織機の歴史」でご紹介した茄子作遺跡です。
古墳時代中期の渡来系の遺物を多くもつ遺跡で、高機の部材が出土した遺跡です。
そしてこの「茄子作(なすづくり)」という地名は、惟喬親王由来のものなのです。
あるとき、鷹狩りをしていた惟喬親王が、かわいがっている鷹を森の茂みに見失うという事件がありました。
そこで惟喬親王は、鷹の足につける名鈴(なすず)を作るように村人に命じ、村の名前を名鈴作村(なすずつくりむら)と名づけました。

惟喬親王が名鈴作りを命じた渡来人の村には、高機で織物を織るタナバタツメが本当にいたのです。

桜の時季に七夕を詠う業平は、タナバタツメの存在を知っていた可能性があったのです。

業平が貴重な神御衣を織る異国の血の混じった織女に、本当に憧れて作った歌だったのかも、と思ってもいいでしょうか?

ちなみに現在、業平のいた渚の院跡から茄子作に行くには、府道13号線を南下し、天野川に架かるカササギ橋を渡って東南に進むとよろしいです。

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カササギの(14)織女の渡来 カササギの(まとめ)七夕とタナバタと棚機の伝来

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