対岸

中国:織女 →→→→→ 牽牛

日本:彦星 →→→→→ 織女

先にご紹介した『万葉集』の七夕の歌152首に、織女が彦星の元へ通う歌は、たった2首です。
それもそのうちの1首は、大伴家持の歌なのです。

織女し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜に 雲立ちわたる
(織女が船に乗りだしたようだ。鏡のような月に雲が立ち渡っているよ。)

織女が彦星の元に通うところは、中国伝承的ですが、カササギの橋ではなく、舟です。
月を舟に、雲を舟の舳先に上がる水しぶきに見立てた歌です。

両国の矢印の向きが逆である原因は、婚姻形式の違いにありました

古墳時代から平安時代まで日本では妻問い婚でした。
妻問い婚は、”つまどいこん”と、読みます。
夫が妻の家に通う婚姻の形式です。

妻は親の実家にいて、そこに夫が通い、子供ができると母親の一族に養育されます。
離婚は簡単で、妻のもとに夫が通わなくなると、離婚となりました。
また逆に、通ってきた夫を妻が追い返してしまえば、やはり離婚となりました。

七夕が日本に伝来した時代は、まさに妻問い婚の時代でありました。
中国の織女が能動的に動く話は、当時の日本の現実の婚姻形式によって変容したのです。

一年に一度の逢瀬しか叶わぬ切ない恋に身を焦がしつつ、夫を待つ織女の誕生です。

後の和歌の恋歌の世界で、一大ジャンルを占めると言っても過言でない「待つ女」の究極の形。
それが、織女 待つ女バージョン だったのです。

閑話休題 日本の二つの伝説

一つは、琵琶湖の伝説です。

昔、愛し合っていた男女がいました。
ところが、男が琵琶湖の対岸に行くことになり、二人は離れ離れになります。
女は男が恋しく、毎夜、琵琶湖を渡って、会いに行くのです。
そんな女のことが可愛いと思った男は、女の目印にと、灯りをともして迎えます。
しかし男は次第に、毎夜、琵琶湖を渡って来る女の執念が怖くなってきます。
そしてある日、ついに男は灯りを消してしまうのです。
女は進むあてを失って迷い、哀れ琵琶湖に沈んで死んでしまうのです。

もう一つの話は、小野小町の百夜通い(ももよかよい)伝説です。

深草少将は、絶世の美人と名高い小野小町に思いを寄せていました。
小野小町に「100日通って来られたら、思いを受け入れてあげる」と言われます。
その言葉を信じて、深草少将は毎晩小町の元へ通います。
そして後一日というところで、哀れ少将は死んでしまうのです。

少将は病死だったり、事故死だったりですが、ともかく、この百夜通いが原因で亡くなってしまいますので、恋人に殺される話としては、琵琶湖の話と同じ筈です。

しかし、同じ印象を受けましたか?

琵琶湖を毎晩、泳いで渡ってくる女って、怖くないですか?
怖いし、キモいですよね。

でも、深草少将のことはかわいそうに思いますよね。
100日も通って来るからって、怖いとは思いませんよね。
小野小町も、少将が諦めることを期待していたにせよ、もしも百夜通えたら受け入れるつもりだったのですから、キモいとか、怖いとかは、思っていなかったはずです。

ここですよ。

わたしたち日本人のDNAには、積極的な求愛行動を示す女性に、嫌悪感を抱く傾向があるのです。

織女は、中国バージョンから、待つ女に変容したことによって、万葉人以降の日本人の心をがっつりとつかみ、現代まで愛され続けているのだと思います。

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