では、カササギに代わって日本でのみ登場した「舟」とは、何なのでしょうか?
太陰太陽暦の七月七日は必ず半月です。
新月から、次の新月の前日までを一ヶ月と考える暦なので、ちょうど十五日前後に満月がきます。
七日は新月から満月までの真ん中、つまり、半月になります。
この上弦の月の形が、舟を連想させます。
柿本人麻呂を始めとして、月を船に見立てる歌があります。
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 榜ぎ隠る見ゆ 『柿本人麻呂歌集』より
月の船 さし出づるより 空の海 星の林は はれにけらしも 『新後拾遺集』より
月は船 星は白波 雲は海 如何に漕ぐらん 桂男は唯一人して 『梁塵秘抄』より
雲の波 かけてもよると 見えぬかな あたりを払ふ 月のみ船は 『待賢門院堀河集』より
彦星が月の舟に乗って天の川を渡り、織女を迎えに行くという発想は、ごく自然なものだったのでしょう。
月人壮士と舟
『万葉集』の七夕歌に「月人壮士」という言葉が出てきます。
”つきひとをとこ”と、読みます。
(2010)夕星も 通ふ天道を いつまでか 仰ぎて待たむ 月人壮士
(夕方の星も行き通っている天の道を、いつまでふり仰いで待てばよいのだろう、月の若者よ)
(2043)秋風の 清き夕へに 天の川 船漕ぎ渡る 月人をとこ
(秋風が清い夕べに天の川が出ている。船を漕いで渡っている月の若者よ)
(2051)天の原 行きて射てむと 白真弓 引きて隠れる 月人をとこ
(天の原に行って射ようと、白真弓を引きながら隠れている月の若者よ)
(2223)天の海に 月の舟浮け 桂梶 かけて漕ぐ見ゆ 月人をとこ
(天の海に月の舟を浮かべ、桂の櫂を取り付けて漕いでいるよ、月の若者が)
(3611)大船に 真楫しじ貫き 海原を 漕ぎ出て渡る 月人壮士
(大きな船に、左右そろった櫓をつけて、海原を漕いで渡っている月の若者よ)
『新日本古典文学大系 万葉集二』より
古語辞典を引くと、月人壮士とは、月を擬人化して、若い男に見たてた表現、とあります。
しかし、歌番号2223などは、月人壮士が、月の舟を漕いでいるという歌で、月が二役、受け持っています。
このことから、七夕歌5首から見る、月人壮士の詠われ方から次のことが言えます。
- 月は舟(2223)であり、弓(2051)であり、若者(全首)である
- 若者は、月の舟を漕ぐ彦星である。(2010、2043、2223、3611)
または、彦星を、月の舟で送る男である。(2010、2043、2223、3611)。
もしくは、天の川を渡る彦星を、見守る男(2010、2051)である。
中国には、月に住んでいる桂男(かつらお、または、かつらおとこ)という人物がいるという伝説があります。(『酉陽雑俎』より)
桂男は大変な美男子で、月に住んで大きな桂の木を切っています。
(2223)で、桂の櫂が出てくるところなど、この伝説を踏まえてのものだと思われます。
まさしく、ここに詠われるいる情景は、天の川を渡る彦星と、それに付き合う月の姿を思い描かせます。
月は、彦星を見守る人であり、天の川を渡る舟の船頭であり、舟そのものなのでしょう。
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