大伴家持が見た白い橋。
この「橋」が、「宮中の建物をつなぐ渡り廊下」を指すのか、天上に見える「天の川の橋」を指すのかは意見が分かれています。
「カササギ」の解釈
「カササギ」をどう解釈するのか、藤原定家の小倉百人一首が世に広まるにつれて、さまざまな研究者によって言われてきました。
- 天全体を指す
- 天の川にかかる橋
- 宮中の建物をつなぐ渡り廊下
- 橋と渡り廊下の両方を指している
また「夜ぞ更けにける」についての解釈も複数あります。
- 夜半
- 寒い夜
- 世の衰え
- 心情
天の川のカササギとは、西洋の星座でいうところの白鳥座のこと
撮影者:Utudanukiさんの写真を加工しています。
白鳥は右上に向かって、翼を広げ飛んでいます。
尻尾の先の明るい星が、夏の大三角形の一角をなす1等星のデネブです。
白鳥座は、1月の上旬までは、日暮れ頃、西の空に低くですが、その姿を見ることができます。
しかし、大伴家持は歌に、夜更けだと言っているのです。
冬、夜が更けに空を見上げても、白鳥座はないのです。
はたして、家持は、白鳥座を見たのか。
見ずに想像しただけなのか。
星座を知らない日本人
当時の日本には、星を見る習慣はありませんでした。
この当時の星座は、7~8世紀ごろに伝来された中国のものです。
しかも天体観測が始まったのは、律令制に、天文、暦、時間などを把握することが必要だと認識されてからのことです。
こういった知識は、民衆には伝わることはなく、平安時代における陰陽師ら一部の専門家にだけのものでした。
大伴家持には、織女星・牽牛星・カササギの星座が、わからなかったとしても不思議ではありません。
飛鳥・奈良・平安時代を通して、夜空で一番は月だった理由はここにあるのだと思います。
下の写真は、上記の元の画像です。
カササギと織女星と牽牛星を見つけることができますか?
現代人の感覚で歌を解釈すると、いろいろと齟齬があることが分かりました。
わたしたちが知っていること、飛鳥・奈良・平安時代のものは決して同じではないのです。
七夕が、今の時代にまで伝わる間に、いろいろなことが変化、変容してきていることがわかります。
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