古代、高機と一緒に日本に来た織女たちの歴史を見てみます。

織女の渡来

  1. 応神紀14年2月(283年)
    百済王、縫衣工女を貢る。(縫衣工女=着物を縫う女性技術者) 真毛津と曰ふ。
  2. 応神紀37年2月(306年)
    呉王、是に工女兄媛・弟媛・呉織・穴織・四婦女を与ふ。
  3. 雄略紀14年正月(470年)
    呉の献れる手末の才伎、漢織、呉織、衣織の兄媛、弟媛らを将て、住吉津に泊つ。

5世紀までに数度、百済や呉から織女と機が渡来されたことが分かりました。

そしてそれは、正史に記載されるほどのビッグニュースだったのです。

織女たちの末裔

渡来した織女たちの子孫について、『日本書紀』に記述があります。

  1. 283年の真毛津は、来目(奈良県橿原市久米町)ので縫衣の始祖である。
  2. 306年の4人のうち、兄媛は福岡県宗像郡の胸形大神へ行く。
    残り3人は、今の呉や漢の出身の織女の始祖である。
  3. 470年渡来の兄媛は奈良県桜井市の大神神社に、弟媛は漢の出身の才伎(技術者)の始祖である。
    漢織、呉織、衣織は奈良県高市郡明日香村飛鳥・三重県津市と松阪市の織女たちの祖先である。

古語拾遺

カササギの(12)七夕はなぬかのよと読む」でご紹介した『古語拾遺』に、天照大御神のために機を織った神々の末裔について記されています。

  • 麻の青和幣を織った、長白羽神は伊勢の国、麻続の祖である。
  • 荒衣を織った、天羽槌雄神は倭文(奈良県葛城市)の遠祖である。

天日鷲神と津咋見神は木綿の白和幣を織りました。
そして、天棚機姫神は絹の和衣を織りました。
ちなみにこの5人の機織りのうち、女神だとはっきりしているのは、天棚機姫神だけです。

大陸から伝来した貴重な織物の技術。
その技術を持って渡来してきた女性と、それを支えた渡来人たち、限られた機織り集団の存在を、平林章仁氏は指摘されています。

 おそらくは五世紀代になった新しく中国南朝(宋)や百済・新羅などからもたらされた機台付の機をタナバタといい、タナバタで布を織る織女をオトタナバタ、タナバタツメと呼んだのであろう。
また、中国の儀礼である七夕をタナバタと称するのもこれと無縁ではなく、機台付のタナバタ、それを織る織女、七夕の儀礼と物語、この三者が一体で伝来したことを示唆している。

『七夕と相撲の古代史』より

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