日本で1600年余り、天を見上げ、川を臨んで祝ってきた七夕祭

かささぎの渡れる橋に置く霜の 白きを見れば夜も更けにける

百人一首 歌番号6 大伴家持

この大伴家持のカササギの歌で七夕について調べました
飛鳥、奈良時代から続く、中国ブームは大きな影響を日本に与えました
政治、儀式を始めとして、漢詩、和歌にいたるまで、中国に憧れ、その文化を模倣しました

そして、朝廷によって、日本での七夕祭が始まりました

干物

朝廷での七夕祭

延喜式 巻三十九 内膳より

七夕の宴会料理についての記録から

材料
  • 主食
    米、餅、粟、キビ、小麦、小豆など。(約150L)
    米・糯米 各六升
    糯糒 八斗
    粟糒 三升
    黍子・小麦 各六升
    小豆 一升

    「糒」は干し飯(ほしい)。
    一度蒸した米を天日で乾燥させた保存食のことです。
    水を加えて食べます。
    そのまま食べたり、茹でたり、蒸したり、炒めたりして加熱して食べたりもします。
    関西風の桜餅でおなじみの道明寺粉は、餅米の糒です。

  • 調味料
    酒、酢、油、醤(塩漬けにした大豆や魚類で調味料として使う)、塩など。(約65L)
    酒 二斗
    酢油 各五升
    醤 一斗
    塩 一升

    醤は塩漬けの魚や大豆なので、今の味噌や醤油の前身です。

  • 主菜
    千葉と隠岐からの干あわび、烏賊、ツブ貝、出汁用の鰹、魚や肉の干物。(5.5kg)
    東鰒 一斤十兩
    隱岐鰒 二斤五兩
    烏賊・螺 各一斤五兩
    煮堅魚 十三兩
    腊 五斤

    烏賊やツブ貝も干したものだったと思われます。

  • 海藻
    のりや海藻の干した物。(0.75kg)
    紫菜 四兩
    海藻 一斤

厨事類記 より

索餅
御菓子八種
麻実
小豆

江家次第 より

菓子
一坏〈梨〉
一坏〈桃〉
一坏〈大角豆〉・・・ササゲ
一坏〈大豆〉
一坏〈熟瓜〉
一坏〈茄子〉
一坏〈薄蚫〉干鯛一坏・・・干しあわび 干し鯛

雲図抄 より



大豆
干鯛
酒盃
熟瓜

大角豆・・・ササゲ
薄蚫・・・・・・干しあわび

宴会風景

食事は大皿料理ではなく、一人ずつお膳で出されます。
中国の儀礼を意識しているので、椅子に着席して、箸とスプーンで食べます。
お膳の前列には、ご飯と並んで調味料が1つずつ小皿で出されます。
塩と酢と酒、醤です。
肉、魚類を自分で好みの味にして食べます。

料理や菓子類は、身分や格付けによって、供される数が違いました。

料理法

白米の食べ方は、蒸したご飯とおかゆでした。
現在の炊き方はもう少し時代が下ってからになります。
玄米では、大量のお湯で茹でる方法と、何度もお湯を足しながらの茹で型がありました。

どちらにしても、現代の炊き方に比べると、ぽろぽろした感じです。
これを高々と盛ります。
現代のお茶碗で言うと、4杯程度の量を盛ります。
富士山型だったり、逆富士山型だったり、円柱だったりします。
スプーンがないと、かなり食べにくかろうと思います。

魚は、ほとんどが干物での輸送です。
鯛、あわび、烏賊、ツブ貝
料理法は一旦戻してから、煮るか蒸すか焼いて出されました。
鯛や烏賊、ほや、くらげ、鳥の内臓などを塩漬けにして発酵させた塩辛もありました。

煮堅魚は、鰹のことで、出汁に使います。
一度茹でて乾燥させたもので、戻して使います。
温かい汁物などに使われました。

京で入手できる生魚は、琵琶湖と、淀川流域の淡水魚に限られていました。
鯉、鮎、鱒などがそうです。

魚の調理法

なます(魚を細く切ったもの)・・・味付けは、付けて出される?お膳の調味料を使ったか?
すし・・・なれずし。米飯に何ヶ月も漬け込んで発酵されたもの。
あえもの
塩漬け
酢漬け
焼き物
つつみ焼き・・・内臓ごと焼いたもの。
蒸し物

牛、馬、虎、豹、羊、カササギはなく

『魏志倭人伝』より

『魏志倭人伝』に書かれているように、古代の日本には、牛や馬などはいませんでした。
こういった動物たちは、渡来人と共に大陸から伝わってきました。
食用として持ち込まれた後、仏教への信仰心が篤かった聖武天皇の肉食の禁止令で、牛、馬、犬、猿、鶏の捕獲が制限されます。
制限とは、捕獲禁止の期間があったのです。
狩猟としての主な対象は、鹿と猪だったため、当時の肉食事情には問題ありませんでした。
しかし、次第に肉食そのものが衰退します。

現代の食用鳥肉の中で最もポピュラーな鶏は、禁止対象になりました。
そこで、平安時代よく食べられた鳥肉は、雉、白鳥、雁、鴨、鶉、雲雀、雀、鴫でした。

肉類の料理法は、魚のものと同じと考えられます。
保存が難しいものは、干して保存されていました。
戻して、加熱されたものがお膳に出てきて、お膳の上の調味料で味を付けて食べました。

海藻

ワカメ、アラメ、こんぶ、てんぐさ、ふのり、みる、あおのり、つのまた、おごのり、なのりん、もずく
海藻、特にワカメや心太がよく食べられました。
調理法は現在と同じで、干したものを戻して、酢や塩で味付けしたものと思われます。

野菜

朝廷の宴会では、野菜は全く供せられていません。
魚などに比べて、野菜は下の扱いを受けていたようです。
ちなみに、庶民たちは、以下のような野菜を食べていました。

菜、蕪、鏑菜、アザミ、チサ、フキ、アオイ、セリ、コナスビ栽培
ワラビ、ノゲシ、ウハギ、ジュンサイ、タラ、カワホネ、クズ、イタドリ、クワイ
アオウリ、キュウリ、マクワウリ、トウガン、ナス
サトイモ、ヤマノイモ、ダイコンん、蓮根
ねぎ、にんにく、あさつき、ニラ、
たけのこ、まつたけ

お菓子

食後のデザートという役割と酒の肴という役割の2つがあります。
前者には果物、後者では干菓子や粽、粉餅、索餅(さくべい)、八種唐菓子(からがし・からくだもの)があります。

果物




瓜・・・マクワウリ
覆盆・・・ラズベリー
楊梅・・・やまもも
椎・・・椎の実。ドングリに近いもの
甘葛・・・つたの抽出液を水飴状に煮詰めたもの

旬で生で食べられるもの以外は、干して保存の利く木の実類などが供されました。

唐菓子

唐菓子は、中国の唐の時代に限らず、外国のお菓子といった意味のものです。
神仏へのお供えものとしても、貴族の嗜好品としても用いられていました。
加水した米粉や小麦粉を練って、造形し、油で揚げたり、茹でる、蒸すといった加工をしました。

『魏志倭人伝』に日本人について「人性酒を嗜む」とあります。
すでに、酒は存在し、嗜んでいたことが分かります。
6世紀末の大和朝廷の時代には、大陸からの酒造技術の伝来でさらに進歩しました。
儀式などのための大規模な工房と職人を、朝廷が持っていました。
年間10万L、造られていました。

市場

宮城の東西に市が配置されており、それぞれに売っているものが違いました。
東の市
米、麦、塩、醤、策餅、心太、海藻、菓子、干し魚、生魚、海菜、油
西の市
米、塩、未醤、策餅、糖、心太、海藻、菓子、干し魚、生魚、油

スポンサーリンク

関連記事

関連動画