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026 貞信公 小倉山

貞信公貞信公
ていしんこう

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今一度の 行幸待たなむ
おぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなん

意訳
小倉山の紅葉よ、もし、おまえに心があるなら、どうかもう一度、帝が来られるときまで、散らずに待っていて欲しい。
歌の種類
雑秋 『拾遺集 雑秋1128』
決まり字
をぐらやま みねのもみじば こころあらば
いまひとたびの みゆきまたなん
語呂合わせ
 小倉山今一度の深雪(おぐらやま いまひとたびのみゆき)

人物

貞信公=藤原忠平(880年-979年8月14日)
藤原基経の四男。
兄時平の早世後に朝政を司り、延喜の治と呼ばれる政治改革を行う。
摂政、関白を歴任。35年間その地位を維持する。
兄時平の政敵である菅原道真と親交があり、道真の非業の死の後、名誉回復に尽力した。

宇多上皇おすすめの紅葉

詞書
『拾遺集』の詞書に
宇多上皇が大堰川(おおいがわ)に御幸されたとき、「醍醐天皇の行幸があってもよいほどすばらしいところだね」と、
おっしゃられたので、
「宇多上皇のご意向を天皇に奏上いたします」と申し上げて詠んだ歌
と、ありました。
907年9月10日、11日の大堰川御幸の作だと思われます。
時に貞信公27歳。 兄時平と醍醐天皇の政敵だった宇多上皇のお供をして、取り持つような歌を作っています。
2年後時平が亡くなった後も、醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇の摂政、関白を勤めながら、宇多上皇との関係も浅からず持ち続けていました。
人間関係の扱いに長けた人だったのでしょう。

小倉山

小倉山

小倉山は京の西、嵯峨にあります。
大堰川を隔てて対岸に嵐山があり、紅葉の名所であります。
現在も秋になると多くの観光客の目を楽しませています。
藤原定家はこの小倉山に山荘を持っていて、そこで百人一首を選んだので、小倉百人一首と呼ばれることになりました。

読み上げ

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