右大将道綱母
うだいしょうみちつなのはは
嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる
意訳 |
会いに来てくれないあなたのことを嘆きながら、一人で過ごす夜明けまでの時間が、どれだけ長いものか、あなたはご存知ですか? |
歌の種類 |
恋 『拾遺集 恋四912』 |
決まり字 |
なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる |
語呂合わせ |
嘆きイカ(なげき イカ) |
人物
右大将道綱母(936年?-995年6月2日)
夫は摂政、関白、太政大臣を務めた藤原兼家。
息子は道綱。
『蜻蛉日記』の作者。
姪に『更級日記』の作者菅原孝標女がいる。
中古三十六歌仙の一人。
女房三十六歌仙の一人。
女好きの夫への歌
『拾遺集』の詞書にこうあります。
「入道摂政まかりたりけるに、門を遅く開けければ、立ちわずらひぬと言ひ入れて侍りければ」
(兼家が来たときに、門の戸を遅くあけると、立ち疲れたと言われたので、)
『蜻蛉日記』に詳しい事情が書いてあります。
兼家は他の女性のところへ行っていたのですね。
それも「仕事、仕事」と嘘をついて出て行ったので、より道綱母は怒っているのです。
それで、家に来られたときに、門を開けなかった。
すると、また、兼家は例の女性のところへ行ってしまった。
翌朝、兼家に宛てた道綱母の歌が「嘆きつつ」です。
ご丁寧に、しおれた菊に挿して送っています。
兼家からの返事がきます。
「夜が明けるまで待とうとしたんだけれど、急用の使いが来合わせてね。あなたが怒るのは無理もないよ。
げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸も おそくあくるは わびしかりけり
(そうそう。冬の夜でなくても、戸があくのが遅いのはわびしいものです。)」
ぬけぬけと、というのは兼家のことをいうのですね。
しかし、締め出したあげくに、しおれた菊付きの和歌という演出も、なかなかのものと思います。
読み上げ
052 藤原道信朝臣 明けぬれば | 054 儀同三司母 忘れじの |