清原元輔
きよはらのもとすけ
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは
意訳 |
二人でお互いに涙でぬれた袖を絞りつつ約束したよね。「この愛は 永遠だね。どんな波でも末の松山を越えることが永遠にないのと同じように」って、約束したのにね。 |
歌の種類 |
恋 『後拾遺集 恋四770』 |
決まり字 |
ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは |
語呂合わせ |
ちぎりきな末の松山(ちぎりきな すえのまつやま) |
人物
清原元輔(908年-990年)
祖父(一説には父)は、清原深養父。 娘は清少納言。
元輔、57-58歳くらいの子で溺愛したといわれている。
三十六歌仙の一人。
”心変わりした女への歌”を代作
『後拾遺集』の詞書に、こう書いてあります。
心変わりて侍りける女に、人に代りて
この歌は、元輔自身の失恋を惜しむ歌ではなく、知人の代理に作った歌です。
百人一首の中には、こうした代作の歌が、数首あります。
末の松山
末の松山は諸説ありますが、現在の茨城県多賀城市の末松山寶國寺裏が有名です。
869年にここを大地震が襲いました。
貞観の大地震です。
その時、ここ末の松山は、奇跡的にも飲み込まれずに残ったのです。
このことから、末の松山を浪が越すことはありえない、といわれ、「永久の約束」の象徴になりました。
関連記事
読み上げ
041 壬生忠見 恋すてふ | 043 権中納言敦忠 逢ひ見ての |