従二位家隆
じゅにいいえたか
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれは みそぎぞなつの しるしなりける
意訳 |
風がそよぐ、ならの小川の夕暮れは、もう秋の気配だけれど、みそぎの神事で、まだ夏なのだと、知りました。 |
歌の種類 |
夏 『新勅撰集 夏192』 |
決まり字 |
かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれは みそぎぞなつの しるしなりける |
語呂合わせ |
風そよぐ味噌(かぜそよぐ みそ) |
人物
従二位家隆(1158年-1237年5月5日)
藤原家隆 読み方は「いえたか」もしくは「かりゅう」
鎌倉時代初期の公卿、歌人。
歌は藤原俊成に習う。
定家より4歳年上で歌のライバルと見なされていた。
『新古今和歌集』の撰者の一人。
「ならの小川」は「奈良の小川」ではなく「楢の小川」
Wikimediaより
奈良県の小川ではありません。
京都にある上賀茂神社の参道にある小川です。
この川に、公家たちが人形(ひとがた)の紙を川に投げ入れ、罪や穢れを祓い清めた「夏越祓式」(なごしはらえしき)が行われるのです。
夏の儀式ですので、たとえ写真のように涼やかな景色ではありますが、「私は夏だということを思い出したよ」という歌の意味になります。
日の沈む海は極楽浄土の門へと続く
この時代、阿弥陀如来のいる極楽浄土へ導いてもらいたいという信仰が流行していました。
極楽浄土に行くにはどうすればよいのか。
一つに「浄土の情景を思い浮かべる」修行があったのです。
極楽浄土は西の方角、海のかなたにあります。
人々は、西の方角、大阪湾に沈む夕日に極楽浄土への門を見出しました。
そしてまた家隆も熱心な信者でした。
晩年の家隆は大阪に居を移し、「夕陽庵」と名付けた庵で死を迎えました。
その場所は今も夕陽ヶ丘という地名で残され、聖徳太子が創建した四天王寺の西門から眺める夕日を見ることができます。
osaka_bob様のInstagramより
読み上げ
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