儀同三司母
ぎどうさんしのはは
忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな
わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうをかぎりの いのちともがな
意訳 |
あなたが言ってくれた「ずっと 忘れないよ」と。だから、今日、死んでしまいたい。だって、本当は、ずっと忘れないなんて、むつかしいでしょ? |
歌の種類 |
恋 『新古今和歌集 恋歌三1149』 |
決まり字 |
わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうをかぎりの いのちともがな |
語呂合わせ |
忘れじ今日を(わすれじ きょうを) |
人物
儀同三司母=高階貴子(?-996年10月)
通称は高内侍。
夫は藤原道隆。
子供には、伊周、隆家、中宮定子などがいる。
道隆の死後、伊周、隆家は、藤原道長との政権争いに敗れ、配流となる。
中宮定子も兄弟の罪に連座し、髪をおろして落飾した。
同年、貴子、病死。
女房三十六歌仙の一人。
今日この幸せのまま死にたいわ
右大将道綱母の夫、兼家の息子道隆が、貴子のもとへ通い始めた頃の歌だと、『新古今和歌集』の詞書にあります。
女好きで有名な兼家の息子ですから、道隆の色事めいた噂も聞いていたでしょう。
道隆20歳頃のことです。
まだ、行く末の分からない若いだけの貴族でした。
それゆえの、歌だったと思います。
この願いはかなえられました。
道隆とは、添い遂げることができました。
道隆は、父兼家の死後、関白そして摂政となります。 道隆と出会ってから、23年の間に、7人の子供を生み、育てました。
息子たちは成人し、出世し、娘たちは中宮、皇太子妃になりました。
しかし突然、道隆は43歳という若さで亡くなってしまいます。
しかも、その翌年4月には、息子たちは謀に陥れられ流罪。
貴子は、引き立てられてゆく息子にすがり付いて号泣したと伝えられています。
半年後の10月末、貴子は傷心のままに亡くなりました。
40代だったと言われています。
高階貴子は和歌はもちろん、漢詩にも通じており、円融天皇にまでその聡明さを愛された女性でした。
儀同三司母ではなく、高階貴子の話を、たくさん書きたかったです。
読み上げ
053 右大将道綱母 嘆きつつ | 055 大納言公任 滝の音は |