能因法師
のういんほうし
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり
あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたのかわの にしきなりけり
意訳 |
嵐が吹き荒れる三室山の紅葉の葉は、竜田川の水面に散って、まるで錦のように美しいね。 |
歌の種類 |
秋 『後拾遺集 秋下366』 |
決まり字 |
あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたのかわの にしきなりけり |
語呂合わせ |
嵐たつ(あらし たつ) |
人物
能因法師(988年-没年未詳)
俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)
中古三十六歌仙の一人
時代は、小倉山に大堰川。そこをあえて、三室山と竜田川。
永承四年内裏歌合せによめる
『後拾遺集 詞書』より
この歌、内裏で詠われたもので、実景を目にして詠ったものではありません。
歌合せは、有名な歌人たちが左右の二組に分かれて、与えられたお題の歌を詠い競い合う競技です。
(年末の紅白歌合戦の和歌版といった感じです)
永承四年の歌合せは、天徳四年の内裏歌合せ以来、90年ぶりに催された公的晴儀の歌合せでした。
歌人としてはこれ以上もない晴れ舞台です。
小倉百人一首勢では、能因法師のほかに、源経信、相模が選ばれています。
能因法師に与えられたお題は「紅葉」。
相手は侍従祐家。
散りまがふ嵐の山のもみぢ葉は 麓の里の秋にざりける
嵐に舞い散る嵐山の紅葉の葉は、麓の里に秋をもたらしました
軍配は能因法師の「嵐吹く」に上がりました。
かつて「紅葉といえば、三室山、竜田山・竜田川」でした。
- ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 唐紅に 水くくるとは『古今集294』在原業平
- 神奈備の 三室の山を 秋ゆけば 錦立ちきる 心地こそすれ『古今集296』壬生忠岑
- 神なびの 山をすぎ行く 秋なれば 竜田川にぞ ぬさはたむくる『古今集300』清原深養父
- もみぢ葉の 流れざりせば 竜田川 水の秋をば 誰か知らまし『古今集302』坂上是則
- 年ごとに もみぢ葉流す 竜田川 みなとや秋の とまりなるらむ『古今集311』紀貫之
- 竜田川 秋にしなれば 山近み ながるゝ水も もみぢしにけり『後撰集414』紀貫之
- かくはかり もみつる色の こけれはや 錦たつたの 山といふらん『後撰集382』紀友則
- 唐錦 たつたの山も 今よりは もみちなからに ときはならなん『後撰集385』紀貫之
『拾遺集』から、「紅葉といえば、小倉山、大堰川」が流行します。
- 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今一度の 行幸待たなむ『拾遺集1128』貞信公
- もみぢ葉を 今日は猶見む 暮れぬとも 小倉の山の 名にはさはらじ『拾遺集195』大中臣能宣朝臣
- 朝まだき 嵐の山の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき『拾遺集210』藤原公任
- 水上に 紅葉流れて 大井川 むらごに見ゆる 滝の白糸『後拾遺集364』堀河右大臣
- 水もなく 見えこそわたれ 大井川 岸の紅葉は 雨と降れども『後拾遺集365』中納言定頼
- 色々の 木の葉流るる 大井河 下は桂の 紅葉とやせん『後拾遺集212』壬生忠岑
- 大堰川 いはなみ高し いかだ士よ きしの紅葉に あからめなせそ『金葉和歌集 245』源経信
- おぼろげの 色とや人の 思ふらん 小倉の山を てらすもみぢ葉『千載集356』道命法師
能因法師は流行に従わず、あえて竜田川と三室山を歌に織り込んできました。
これは、天徳四年の歌合せを意識しての題材選びだったのです。
この歌は”まるで絵葉書のよう”と酷評されることもあるほどの、凡庸な歌に一見思われます。
しかし、”絵葉書のようなみごとな風景”を聞く人の脳裏に浮かばせることこそが、能因法師の狙いだったのです。
90年ぶりの本格的で壮大な内裏歌合せに相応しいと、考えたのだと思います。
昔から三室山と竜田川が離れているので、この組み合わせには地理的に無理があると言われていました。
しかし、彼にとってそんな矛盾は些細なものであったのでしょう。
能因法師の頭の中では、他に譲れないほどの「紅葉の景色」は、竜田川と三室山なのです。
この歌に詠われる三室山と竜田川が現在どの場所を指すのかについては、諸説あります。
一部をご紹介します。
奈良県高市郡明日香村の雷丘説
雷丘は標高110m。
近くを流れる川は、飛鳥川です。
奈良県生駒郡三郷町の三室山説
生駒山脈の南端部にある竜田山(立田山)の一部を三室山と呼びます。
標高は137m。
現在も紅葉の名所と呼ばれています。
近くを流れる川は大和川。
JR三郷駅前の噴水の中に能因法師の歌碑があります。
奈良県生駒郡斑鳩町の三室山(神奈備山)説
標高は82m。
こちらも、紅葉の名所です。
近くを流れる川は現在竜田川と呼ばれています。
三室山への上り口の壁面には、能因法師と在原業平の歌の碑があります。
他県でも、三室山と竜田川の名を持つ紅葉の名所があるようです。
どちらも紅葉を大切に守り、訪れる人々を楽しませておられます。
「どこが本物かなんて、美の前には些細なことだよ」と、能因法師は言うと思うのです。
良い旅の歌ができたなら、日焼けしよう
能因はいたれるすきものにてありければ
都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関
と詠めるを、都にありながらこの歌を出ださむ事念なしと思ひて、人にも知られず久しく籠り居て、色を黒く日にあたりなしてのち、「陸奥の方へ修業のついでに詠みたり」とぞ披露し侍りける。
『古今著聞集』
能因は、たいそうな歌好きであったので、こういった話があります。
春、霞が立つ頃に都を立って、陸奥の白河の関まで来ると、そこはもう秋風が吹いていました。
あるとき、この歌を思いついた能因は、実際に旅にも行かずに詠ったと言われるのは残念だ、と思いました。
そして、長らく家に閉じ籠り、顔を日焼けで黒くしてから、「陸奥の方へ修行ついでに詠みました」と言ってこの歌を披露しました。
実際に歌の価値を上げるために日焼けをしたかは、分かりませんが、そういうことをしかねない人物だと思われていたようです。
調べてみると、面白い逸話がいくつもあります。
歌が好きで好きでたまらない人なのが、伝わってきます。
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