良暹法師
りょうぜんほうし
さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ
さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆうぐれ
意訳 |
寂しさにたまらず、家から出て来てあたりを眺めると、どこも同じように淋しい秋の夕暮れの景色が、広がっているばかりでした。 |
歌の種類 |
秋 『後拾遺集 秋上333』 |
決まり字 |
さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆうぐれ |
語呂合わせ |
さぁ、いづこ?(さぁ いづこ?) |
人物
良暹法師(生没年不詳)
父母未詳
但し母は藤原実方で仕えていた白菊という女童だったという。
叡山僧。祇園別当。
歌合せに多数選出されている。
晩年は大原に隠棲。
馬を下りて
人々大原なる所に遊行するにおのおの馬に騎る。而して俊頼朝臣が俄に下馬す。 人々驚きてこれを問ふ。 答へて云はく。
「此所は良暹が旧房なり。いかでか下馬せざらんや」と。
人々感嘆して皆もって下馬すと云々。
これ能因の先蹤か。
能因、兼房の車の後に乗りて行くの間、二条東洞院にて俄かに下りて数町歩行す。 兼房驚きてこれを問ふ。答へて云はく、
「伊勢の御の家の跡なり。かの御の前栽の植松、今に侍り。いかでか乗り乍ら過ぐべけんや」と云々。
松の木の末の見ゆるまで車に乗らずと云々。
件の良暹が房、いまだ消えず。『袋草紙 巻三』
源俊頼が人々と馬に乗って、遊びに出ました。 大原というところに行くと、急に俊頼は馬を下りました。 人々が驚いて問うと、
「ここは良暹法師が昔住んでいたところだ。どうして馬から下りずにおられようか。失礼だろう」と言いました。
それを聞いて皆、感嘆して、馬を下りました。
これは能因法師の話で、先例があります。
能因が藤原兼房の車の後ろに乗っていると、二条東洞院で能因が急に車を降りて、数町歩きました。 兼房は驚いてこれを問いました。 能因が答えて言うには
「伊勢の御のお屋敷の跡でした。あの伊勢の御が詠われた庭先の結び松が、今もありました。どうして車に乗ったまま通り過ぎることができましょうか」 と言いました。
松の木の梢の先が見えなくなるまで、車に乗らなかったという。
良暹法師や伊勢が歌人として、後の時代の歌人たちから尊敬されていたことをあらわす逸話です。
ちなみに、伊勢の”結び松”の歌は不詳です。
読み上げ
069 能因法師 嵐吹く | 071 大納言経信 夕されば |