藤原清輔朝臣
ふじわらのきよすけのあそん
ながらへば またこの頃や 忍ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみしよぞ いまはこいしき
意訳 |
生きながらえば、つらいばかりのこの頃が懐かしくなるのだろうか?わずらわしかった昔の日々が、今ともなれば恋しいのだから。 |
歌の種類 |
雑 『新古今集 雑歌下1843』 |
決まり字 |
ながら えば またこのごろや しのばれん うしとみしよぞ いまはこいしき |
語呂合わせ |
ながら牛(ながら うし) |
人物
藤原清輔朝臣(1104年-1177年7月17日) 父は藤原顕輔。 公家・歌人。 六条藤家歌学を確立。 御子左家の藤原俊成に対抗した。
憂しではなく牛の話
前の俊成の歌は、鹿でした。
続いて、清輔はウシ(憂し)の歌なのですが、牛のお話を少し。
平安時代には、貴族たちの移動手段といえば牛車でした。
(馬は、牛を使うことが許されない武士以下の身分の人々が使い、この後の時代の主流の移動手段となります。)
牛車は一種の権威を示すためのもので華美な装飾などを施して、家の勢力を周りに誇ったものでした。
紫式部の『源氏物語』に、2つの身分の高い女主人が乗る牛車が争いの上、壊されるというシーンがあります。
負けた側の女性は、屈辱のあまり、生霊となって、相手を呪うきっかけとなるシーンです。
牛車が権威の現れであるということを知れば、その牛車を壊されるということの意味がどれほどの屈辱なのか理解できます。
読み上げ
083 皇太后宮大夫俊成 世の中よ | 085 俊恵法師 夜もすがら |