鎌倉右大臣
かまくらのうだいじん
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのおぶねの つなでかなしも
意訳 |
この社会が、ずっと普段通りであるといいなぁ。海人が、小船の綱を引く、そんな普通の光景にも、心動かされるものだよ。 |
歌の種類 |
羇旅 [きりょ] |
決まり字 |
よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのおぶねの つなでかなしも |
語呂合わせ |
世の中は海女の尾(よのなかは あまのお) |
人物
鎌倉右大臣(1192年9月17日-1219年2月13日)
源 実朝。 鎌倉時代前期の鎌倉幕府第三代征夷大将軍。
父は、鎌倉幕府を開いた源頼朝。
母は、尼将軍北条政子。
兄の頼家が比企能員の変により追放された後、12歳で兄の後を継いで征夷大将軍に就任する。
和歌を愛し、藤原定家に歌の指導を受ける。
自身を宋の長老に生まれ変わりと信じており、渡宋のための船を造るが進水に失敗して、計画は頓挫する。
最期は、兄頼家の子公暁に暗殺される。
「もがもな」とは?
・・・だといいなぁ。・・・であったらいいなぁ。
という、意味です。
文法的には、以下のようになります。
願望の終助詞「もがも」+詠嘆の終助詞「な」
ですので、「常にもがもな」は「普段通りであるといいなぁ」と訳します。
ちなみに 「綱手かなしも」は漢字を当てると「綱手愛しも」で
いとおしい
という、意味です。
「悲しい」という意味ではありません。
会わずの子弟
上記の「人物」に「和歌を愛し、藤原定家に歌の指導を受ける。」と記載しましたが、鎌倉にいた実朝と京都にいた定家が会うことはありませんでした。
12歳で征夷大将軍職に就かざるをえない立場に置かれました。
母政子と北条氏の傀儡として不自由な生活を送ります。
そんな実朝の和歌への情熱が、遠距離師弟関係を保つ原動力になったのでしょう。
京都の地を踏むことのなかった実朝の歌には、この歌を始めとして、彼の身近な風景を詠ったものが多くあります。
大海の 磯もとどろに 寄する波 われてくだけて 裂けて散るかも
実朝が28歳で暗殺されたとき、定家は57歳でした。
現代にいるわたしたちにとっての源実朝は「鎌倉幕府三代将軍」ですが、
定家にとっては、武家の頭領の「征夷大将軍」ではなく
たとえ鎌倉にいても定家と同じ京都の朝廷に仕える「右大臣」であり
共に和歌を愛してやまないかわいい弟子でした。
読み上げ
092 二条院讃岐 きりぎりす | 094 参議雅経 み吉野の |